かるーく巡る戦国時代と武将の歴史考察&紹介( ・`ー・´)

タイトル通り戦国時代と武将のにわか考察と紹介をしてるブログです

言葉に対する名将達の考えや思い

時代が違っても人間社会において、『言葉』を含むコミニュケーションというものは切っても切り離せないものです。

 

 

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言葉一つで得をすることもあれば、言葉一つで損をすることもある。

今回は戦国大名達がそんな『言葉』というものに対し、どんな考えを抱いていたのかをご紹介させて頂きたいと思います。

 

北条早雲

歌道なき人は無手に賤しき事なり。学ぶべし
常の出言に慎み有るべし。
一言にて人の胸中しらるるものなり。

 

和歌の心得が無いのは恥ずべきことである。学ばなければならない。

言葉について常に慎んでいなくてはならない。
一言聞かれても、その人の心は他に知られるものだから、注意せねばならない。という意味です。

北条早雲が定めたと伝えられる北条家分国法二十一ヵ条の教訓の1つ。

 

優れた内政手腕を持ち、戦国大名で最初といわれる検地を実行、四公六民という当時稀に見ない低税率を制定。後に関東に莫大な領土を築く後北条氏の祖となった北条早雲

早雲が制定したとされる北条家分国法二十一ヵ条には事細かに普段の生活について、かくあるべしという教訓が記され

(早起きをすること、身だしなみを整えること、お年寄りを大事にすること等。)

その一つである上記の家訓は、たった一言でも相手に自分の気持ちが知られてしまう。だから慎重に発言しなければならない、という言葉一つの危険性を教えています。


浪人から伸し上がった下剋上戦国大名の先駆けと言われていましたが、近年では室町幕府政所執事を務めた名門伊勢氏の出身であったというのが主流になっている早雲の文化教養面の造詣の深さと政治家として意識の高さが窺える一文です。

毛利元就

 言の葉は心の使いである。

心に思っていることは自然と言葉にあらわれる。

言葉によって、その人が善か悪か、才能があるかないか、剛勇か臆病か、利口か愚かか、遅いか速いか、正直か正直でないか、そうしたことがすぐにわかるものだ。

 

僅か2万石の領地から中国地方の雄となり、謀神として称えられた毛利元就

その前半生は苦難の連続で、兄と父を病で失い、家臣には実権を乗っ取られ、当主となった後も大内と尼子という二大勢力に振りまわれる日々。

そんな幼少期から様々な悪意や欲という感情に触れてきた元就にとって『言葉』こそが、相手の本質を見極める重要な要素だったという事なんでしょうね。

後に数十倍にも領地を拡大した元就の武器となった『調略』には『言葉』は欠かせないものでした。北条早雲同様に言葉の重要性について説いていますが、見極められる側の立場を語った早雲に対して、元就は見極める側の立場で語っている様にもとれます。

上杉謙信

心に怒りなき時は言葉和らかなり。

 

おだやかな心である時は、言葉遣いもやわらかである。

という上杉謙信公家訓十六ケ条のひとつ。

 

戦では無類の強さを誇ったのはもちろんのこと、内政の手腕も確かで海上交易や産業を中心に越後を豊かな国に発展させた上杉謙信

孤高の人のイメージがありますが、姉の子ども達を我が子のように可愛がったと言われ、喜平次(後の上杉景勝)宛てに喜平次の字がうまくなったことを喜び、自ら習字の手本を書いた愛情溢れる手紙等を多数送っていた記録が残っています。

また独身の重臣に結婚を薦めたり、家臣同士の領土争い・内乱の調停で心身が疲れ果て突然出家・隠居することを宣言して高野山に向かい家臣を慌てさせたりする人間味があるエピソードも。

信仰心に厚かったといわれる謙信。上記の家訓は厳しい戦国時代にあっても、穏やかに言葉遣いも優しいものであって欲しいという願いが込められているのかもしれません。