かるーく巡る戦国時代と武将( ・`ー・´)

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お金は大事だけど… 戦国武将の貯金の逸話

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よーく考えよう。お金は大事だよ。

というCMが流れたのはいつだったか…

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将来の目標のために、老後のためにお金が無いと不安だから、お金が溜まる事に喜びを覚える…etc。貯金をする理由というのは人それぞれです。

ただ言えるのは良い時も悪い時も『いざという時』に手元にお金が無ければ、何もできないという事。

今回はその『いざという時に』の戦国武将達の貯金やお金の使い方に纏わる逸話をご紹介させて頂きたいと思います。

前田利家

苦しい浪人時代を2年以上に亘って経験したことにより、金銭面にかなりシビアになった前田利家

それは出世を重ねて能登23万石を領有する大名となった後も変わりませんでした。

 

1584年、本能寺の変賤ヶ岳の戦い後、豊臣(当時羽柴)方についた利家は秀吉と敵対する佐々成政に支城である末森城を一万を超える軍勢にて攻め寄せられていました。

末森城の城兵は1500。数倍の敵を前に落城寸前にまで追い込まれ、利家は兵を引き連れて救援に向かう必要がありましたが、大名にとって一番大事でありながら一番金のかかる兵士を解雇していた利家は23万石を領しながら2500程度の兵しか動員できなかったのです。

救援に向っても数的不利な状況は変わらず、その為うかつに兵を繰り出す事ができなかったのです(石高的には5000~6000の動員が可能)

困っていた利家に対し以前から貯めた銭で家臣を集めておくように忠言してた正室おまつは「銭に槍を持たせて出陣されては?」と言い放ったそうな。

結果、数的不利にも関わらず佐々の軍勢を打ち破ったため前田家の武名を高める事となった同戦ですが、利家の失敗エピソードとして挙がる事もしばしばあったり…。

 

しかし改易された築城技術に優れる高山右近を高禄で召し抱え、金沢城の整備に携わせるなど掛けるべきところにはしっかりとお金を掛けており、大名に相応しいお金の使い方も心得ていた利家。

死に際には家臣が困るからとあらゆる書類に判を押して決済を全て処理したり、金銭的に困っていた他大名からの借金を全て帳消しにしたりと、自身の死後も『お金に困らない』ように動いていたそうです。

多くても少なくても困るお金のトラブルを避けようとする姿勢は、現代人が見習うべきものなのかもしれませんね。

 

岡定俊 (岡佐内)

 蒲生氏郷の元で合戦で多くの功績を挙げ、氏郷が会津92万石を拝領した際には1万石の知行を与えられた定俊。

武勇に優れているだけでなく蓄財の才もあった彼は、守銭奴といわれる程利殖に励み周囲から相当な金銭を溜めこんでいました。

部屋中に金銭を敷き詰めて、その上で裸になって昼寝するのを楽しみにしていたというお金大好きエピソードも残っていたりします。

 

時は1600年。蒲生家が蒲生騒動で宇都宮18万石に減封となった後、会津上杉家に仕えたていた定俊。

その上杉家では会津征伐を決断した徳川家康率いる総勢10万を超える大軍に対抗するため急ピッチで領内を整備し、兵を集めていました。ですがそれには相当な出費が掛かります。

前領地越後から引っ越して間もなく、税を勝手に持ち去る程金銭的に余裕が無かった上杉家にとっては非常に頭が痛い問題でした。

そんな上杉家に、家臣の身でありながら1万貫(およそ10億円)という大金を献金し、軍費の調達に見舞っている諸将にもお金を貸し与えた救世主が現れたのです。

 

「こういう時にこそ惜しみなく使わねばならない」

 

それが守銭奴と蔑まれていた岡定俊でした。

同僚と友人に大事が起きたという報告が入ると敷き詰めた銭をそのままに駆け出し数日放置するという一面も持ち合わせていた彼は、お金は大好きではあったものの、お金よりも大事なものをちゃんと分かっていたのです。

 

後に上杉家は関ヶ原の戦いに敗れてしまい90万石から30万石へと大幅な減領に。

しかし定俊は昇給も望めず貸したお金が返ってこない状況にも関わらず伊達政宗など東軍大名から高禄での誘いを断っていました。

お金にあれだけ厳しかった男がここまでするのは何か裏があるのではないか?財政難に苦しむ上杉家中では、「返金を要求されるのでは…」という不安が蔓延。その状況を見かねた執政兼続は、「家中の者達の借財を、どのようにするつもりか?」と定俊に直接問いただします。

すると定俊は焚き火に今までとっていた借用書を投げ入れてしまいました。更にそんな不安にさせてしまった事を申し訳なく思い、上杉家を去っていくのです。

その武士らしい潔さに兼続は「彼のような男こそ、本当に必要だった」と、後々まで語ったとか。

 

番外編 石田三成

 少し趣旨からズレますが、全く貯金をしなかった大名を一人ご紹介させて頂きます。

それが佐和山19万石の大名であり五奉行の一人石田三成

 

関ヶ原の戦い本戦の後、逃亡した石田三成の居城であった佐和山城に手柄を求めて東軍大名が攻め込みました。

豊かな領地を擁し高い役職についていたため、諸将は佐和山城にかなりの金銀財宝が蓄えられているだろうと予想していました。

しかし攻め入った城兵が見たのはすっからかんの蔵。

 

「主君から頂いた俸禄は、家臣の俸禄、領地の整備、民政に全て使うべし。 俸禄を余すのは主君に対する不忠である」

 

という考えを持ち主君の為、家臣の為、領民の為に私財を蓄える事をしなかった三成。

秀吉から重宝され、忠義の厚い家臣を持ち、領民に慕われた理由が窺えるエピソードです。


自身の能力に自信があった三成だからこそできる生き方なんでしょうけど…あえて貯金をしないというのも一つの生き方もかも知れませんね。